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プロボクサー 内藤大助について,3分間基礎講座であなたの頭脳をパワーアップ!
1974年 8月 30日生まれの内藤大助は,宮田ジム所属の日本のプロボクサー。北海道虻田郡豊浦町出身,豊浦高校卒,血液型A型,既婚,愛称『北の剛拳』のWBC世界フライ級王者,元日本 & OPBF東洋太平洋フライ級王者で,kO率 70%のハードパンチャーである。
2007年 10月の亀田大毅戦での健闘で注目を集めた内藤大助の試合のときの入場曲は,C-C-Bの『 Romantic が止まらない』で,これは内藤大助がいじめにあっていたころ C-C-B のラジオ番組にいじめのことを相談する葉書を出し,それが採用されたことからである。
貧しい母子家庭に育ち,中学校時代はいじめが原因で胃潰瘍になるほどであったという内藤大助は,高校生の時はハンドボール部に所属し,高校卒業後就職のために上京して実父の経営する会社に就職し,アパートの近くのボクシングジムに入門した。
内藤大助は,2007年 6月まではレンタカー店で働き,全日本新人王,東洋太平洋チャンピオン,日本チャンピオン,WBC世界チャンピオンと主要タイトルを総なめにして上り詰めた正統派の選手にもかかわらず,喫茶店勤めの妻と合わせて月収 12万円ほどで,世間で認知を得られたのは亀田大毅との試合からである。
内藤大助の敗戦は,初世界戦での KO負けと負傷判定負けの 2人のポンサクレックとの 2敗だけで,ガードが低く見られがちだがパーリングやウィービングやスリッピングなどのパンチをかわす技術に冴え,クリーンヒットをかわし,ダウンは 1度がない。
チャンピオン内藤大助,東日本フライ級新人王,全日本フライ級新人王,日本フライ級王座 ( 防衛 4 = 返上 ),OPBF東洋太平洋フライ級王座 ( 防衛 1 = 返上,日本・東洋の現役 2冠を達成 ) ,WBC世界フライ級王座 ( 防衛 1 ) で,1996年 10月にプロデビューを 1RKOで飾り,1998年 12月全日本フライ級新人王決定戦で福山登を 1RKOで下し新人王を獲得,2001年 7月坂田健史の持つ日本フライ級王座に挑戦したが引き分けた。
2002年 4月にタイで,WBC世界フライ級王座のポンサックレック シンワンチャーに挑戦し,世界フライ級タイトルマッチ史上最短 KO記録の 1R34秒 KO負けを喫するが,復帰戦を KOで飾り,菊井徹平を下し,順調に勝ち進みランキングを上昇させ,2004年 6月,中野博の日本フライ級王座に挑戦し,同日本王座を獲得。
2004年 10月には,日本王座の初防衛戦を小嶋武幸と行い,日本タイトルマッチ史上最短の 1R24秒 KO勝ちを収め,2005年 10月に WBC世界フライ級王者ポンサクレック ウォンジョンカムに再挑戦し敗れ,2006年 6月,史上初の日本・東洋太平洋統一タイトルマッチを東洋太平洋フライ級王者の小松則幸に勝利し,王座の2冠を達成,同年 12月には東洋太平洋王座単独の防衛戦を行い,判定で初防衛。
チャンピオン内藤大助は,2007年 2月に負傷と日本・東洋王座の防衛戦の兼用の厳しさを理由に東洋王座を返上したが,後には日本王座を防衛しながら 3度目の世界挑戦を表明。2007年 7月,WBC世界フライ級王座 3度目の挑戦で,王者ポンサクレック ウォンジョンカムに判定勝ちし,雪辱を果たし,世界初挑戦から約 5年,悲願のチャンピオンベルト奪還に成功した。
2007年 10月 初防衛戦で,WBC世界フライ級 14位の亀田大毅に大差の判定で圧勝し,初防衛を果たした。
内藤大助は,元 WBA世界ライトフライ級王者の亀田興毅との対決を熱望していたが,亀田陣営は 『 6回戦レベル 』 などと内藤大助に対し挑発をしても対戦を避けていた。
内藤大助は,3度目の WBC世界フライ級王座のポンサクレックへの挑戦の前に 『 世界王者になったら,亀田を挑戦者に指名する 』 と宣言し,ポンサクレックに勝利して王座に付いたとき,亀田陣営は 『 内藤が世界王者になったことでボクシングのレベルが下がった 』 と反撃した。
内藤大助の WBC世界フライ級王座の初防衛戦は亀田興毅との対決を予定していたが,2007年 10月 11日の初防衛戦は亀田興毅ではなく,弟の WBCフライ級 14位の亀田大毅との対戦が初防衛となった。
亀田陣営は,亀田大毅が勝てば記録が 5日更新するため,最年少世界王座獲得の日本記録を意識していたためであったが,WBC世界フライ級王座の初防衛戦の結果は,審判3者とも7点から 10点差以上の大差で内藤優勢としたため,内藤大助が 3対 0で快勝して初防衛となった。
この初防衛戦では,亀田大毅が様々な反則行為を行ったことから,観客の応援は内藤大助に向けたものが圧倒的に多く,この試合で内藤大助は 『 大毅が反省しないのなら,もう亀田家とはやらない 』 と発言した。
その後の亀田陣営の謝罪会見で,大毅が坊主姿になったことについて内藤大助は, 『 大毅が相当のショックを受けている 』 ,『 気持ちが伝わった 』 と勝者の思いやりを表明し,その会見の翌日に亀田大毅から謝罪訪問を受け, 『 誠意が伝わりました。お父さんからも電話で連絡をいただき,謝罪を受けました。大毅君は素質のある選手なので,これからも頑張ってほしいと思います 』 と発言した。
その後の協栄ジム金平桂一郎会長と亀田興毅による謝罪会見に対しても 『 興毅君は立派でした 』 と讃え, 『 自分の中では大毅君とお父さんの謝罪を受けてすでに終わっている件だが,公の場で公式に謝罪したので,みなさんにも誠意は伝わったんじゃないでしょうか 』 と語った。